exchangeable fact

交換可能な現実

人文科学書の実に9割は、真理や真実の追究などとは無縁であるというひとつの仮定をたててみよう。事実など最初から存在しなかったのだし、また事実などど うにでも曲げて構わない。重要なことは、真実を語ることなどでなければ、精神の秘密を言い当てることもでない。何事か、それはまったく何でもいいのだが、 極度にシリアスな事柄について、イヤ、極度にシリアスに語ろうとする姿勢、なにかが憑衣したような爆発的な集中力によって、言葉が勝手に歩き出す瞬間に立 ち会うこと、そう仕向けることである。

文学者であろうが、思想家であろうが、彼らが夜通し行っていることはといえば、そんな風に言葉を日常会話から引きずり出し、ジェット・コースターに乗せ可 能な限りに加速させることである。特別な言葉など必要ないのだ。手持ちの常識的なアマウントの真実の関係性が、言葉が言葉を、イメージがイメージを、連鎖 的な自動運動のもとに引きずり回す。そしてルールの一切を一変させ、都合のいい世界をひとりでに積み上げてゆくのだ。頭をこねくり回して紡ぎ出すものなど ではなく、言葉とは独立した自動運動であって、言葉をつかう者の能力とは無関係である。言葉と言葉は勝手に出会いフュージョンを繰り返すのだ。おそらく言 葉に限らず、僕らがかしこまって芸術などとよぶ表現活動のほとんどもまた、これと同じである。芸術家とはそんな瞬間を見極めようとする意志を大事にする人 のことである。

ボートリヤールの「不可能な交換」を今更ながらに読み返してみた。バイオは死を殺し、生を操作し、性を終わらせる。ボードリヤールの視点はとくに性に関す る人間の過剰な参加についてあ げられる、避妊、人工中絶、性的玩具、自虐愛、そして生を培養することも消滅することも可能なバイオ・テクノロジー。性へのアプローチの仕方はこと ことごとく変化し、それに引きずられる形で僕らの価値観もまた変形してゆく。自我を持つコンピュータ、人の死なない戦争、ヴァーチャルな精神界の中でのみ 喜怒哀楽可能な人間、今まさに起こるはずがなかったはずの現実が、静かに緩やかに僕たちの生活圏へと進出している。そこにはもはや直接的なものは存在せ ず、人が人を殺す理由は回りくどくなっていく。「もはや哲学はなんの意味も持たない、哲学は現実の後についてくるばかりである」というように、今後起こり うるあらゆる人為的な現象は、人の手を離れて肥大してしまった獣のようなもので、人間に出来ることは現象に即して後付で批評を行うということだけで、それ すら何ら効力を持たないのだ。

ついには、この本自体が数学や物理の専門用語を散りばめた奇妙な詩集のような形で、話を綴じていく。まるで異次元に放り 出されたかのような、後味を残すことになる。この本を読んだところで、出来ることは何もないのだし、本当に彼の語る様になってゆくのかと見守るしかしない のだ。しかしひとつのことを考えなければならない。つまり本当に人々はそして世界はそうなってゆくのであろうか。僕らはテクノロジーに引きずりまわされ狂 乱してゆくしかしないほど単純ではないし、一方向に撤してそこに堕ちてゆけるほど強くもない。ボードリヤールは意図して問題を誇張しているし、その理由は 読者に警笛を鳴らすためばかりではない。

これはつまり、リアリティーの極端な部分を掻き集めたある種のサイエンスフィクションのようなものだ。そこに真実があるか否かはじつは問題ではない。その ようにしてこの一冊の本を読んでみると、いやこの本に限らずあらゆる本をそんな疑いの目で覗いてみると、あることが明瞭に分かってくる。それは「真実・真 理・現実」など最初から問題ではなかったということ。彼らは嘘を言っているわけではない。彼らはたしかにリアリティーを題材にはしている。しかしリアリ ティーと言葉が絡んだとき偶然と露になる生まれたてのエピソードのまっただ中に漂流すること、書き手はそんな冒険を楽しんでいるのだし、行き着いた場所が 天国であろうが地獄であろうが、いやそれ以外の何物かであること、そんな奇跡にブツかること、言葉を並べてゆくということは、そんな風に語るも者の意図の 先を語りようもない世界に引きずり込むということなのである。

11/21/10
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